Transcriptions
板の写し
石のかたわらに立つ説明板・碑・立札の文面を、原文のまま写します。 仮名づかいも、表記の揺れも、板のまま。読めない字は〓のまま。 板は風雨で古び、いつか掛け替えられます。写しは、ここに残ります。
歌のことばをそのまま持つのは、この頁と「ことばのこと」、そして写しを持つそれぞれの石の頁だけです。
茨城県 笠間稲荷神社のさざれ石
さゞれ石(立札)
国歌 君が代に よまれし石
さゞれ石
奉納 岩城造園株式会社
さゞれ石
奉納 岩城造園株式会社
玉垣のそばの木の立札。「さゞれ」の表記は札のまま。2026年8月9日撮影。
茨城県 大宝八幡宮のさざれ石
さざれ石(標柱)
(正面)さざれ石
(右肩)国歌 君が代に詠まれ〓〓
(右肩)国歌 君が代に詠まれ〓〓
石の標柱。上部に日の丸の彫り。小さな字は風化のため読み切れませんでした。読めない字は〓のまま置きます。2026年8月14日撮影。
茨城県 息栖神社のさざれ石
さざれ石(細石)
日本の国歌「君が代」に詠まれているさざれ石とは細かい石・小石のことで、それが永い年月をかけて塊となり、巌(いわお)となったものをさざれ石と呼ばれています。
人と人が力を合わせ、団結、協力して一つになり、「苔のむすまで」は長い年月をかけて育成することです。
苔は子孫繁栄を表し、男女のことを「君(きみ)」と称し、愛し協力し合い、「千代に八千代に(永遠に続く)」は子供を養い育てる意味です。
人と人が力を合わせ、団結、協力して一つになり、「苔のむすまで」は長い年月をかけて育成することです。
苔は子孫繁栄を表し、男女のことを「君(きみ)」と称し、愛し協力し合い、「千代に八千代に(永遠に続く)」は子供を養い育てる意味です。
息栖神社 境内の説明板。原板は縦書き。2026年8月14日撮影。
茨城県 鹿島神宮のさざれ石
さざれ石の由来
さざれ石(石灰質角礫岩)は、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液が次第に小石を凝結し、次第に大きくなり、ついには巌となり、河川の浸食により地表に露出したものであります。
国歌「君が代」は、天皇の御代の弥栄をさざれ石に託してをり、天皇の大御代が千代に八千代に、さざれ石の巌となりて苔のむすまで、永く久しく栄えますようにとの祈りの込められた歌であります。
古今和歌集 巻第七賀歌に、題知らず・読人知らずの歌として
わが君は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで
とあります。
「君が代」は神事や宴席で最後に歌われる祝歌として人々に広く、浄瑠璃や謡曲にも取り入れられ、小唄端唄から一般庶民に到る迄、全国津々浦々で歌われる歌となって行きました。
国歌「君が代」は、明治二十六年日本国歌に制定され、大正時代ニューヨークで開催された世界の国歌コンクールで特等となりました。
国歌「君が代」
君が代は千代に八千代に
さざれ石の巌となりて苔のむすまで
国歌「君が代」は、天皇の御代の弥栄をさざれ石に託してをり、天皇の大御代が千代に八千代に、さざれ石の巌となりて苔のむすまで、永く久しく栄えますようにとの祈りの込められた歌であります。
古今和歌集 巻第七賀歌に、題知らず・読人知らずの歌として
わが君は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで
とあります。
「君が代」は神事や宴席で最後に歌われる祝歌として人々に広く、浄瑠璃や謡曲にも取り入れられ、小唄端唄から一般庶民に到る迄、全国津々浦々で歌われる歌となって行きました。
国歌「君が代」は、明治二十六年日本国歌に制定され、大正時代ニューヨークで開催された世界の国歌コンクールで特等となりました。
国歌「君が代」
君が代は千代に八千代に
さざれ石の巌となりて苔のむすまで
奥参道わきの石碑(金字・縦書き)。風化で判読しがたい字があり、読み取れた範囲の写しです。数か所の助詞は前後から補いました。2026年8月14日撮影。
茨城県 鹿島神宮のさざれ石
国旗について
古来、日本人は太陽を信仰の対象としており、国名「日本」も国旗「日章旗」(日の丸)も太陽崇拝に起源するものと思われる。日章旗が国旗として扱われるのは明治以降で、平成十一年施行の国旗国歌法により正式に国旗として定められた。
日の丸の旗 高野辰之作詞 明治四十四年(一九一一)
一 白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は
二 朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は
日の丸の旗 高野辰之作詞 明治四十四年(一九一一)
一 白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は
二 朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は
日の丸を刻んだ石碑の下面。細部は風化のため前後から補いました。唱歌「日の丸の旗」の作詞者・高野辰之は1947年没で、著作権の保護期間は満了しています。2026年8月14日撮影。
新潟県 江口だんご本店のさざれ石
国歌「君が代」の詠まれている さざれ石
さざれ石は、日本の七高山、伊吹山のふもとにあり、国歌「君が代」に詠まれているとおり、大小の石が永い歳月のうちに凝結して自然に大きな巌となったものです。
それは、まさしく心を一つにし、私たちの家庭も地域も国家もみんなが力を合わせて進めば、千代に八千代に栄えてゆくことを、意味するものです。
岐阜県揖斐郡春日村に住む石井左衛門は、春日谷から近江の君ヶ畑や京都へ行き来する際、渓流に露出する「さざれ石」を見て見たまま、詠んで奉った歌が
わが君は千代に八千代にさざれ石の巌をとなりて苔のむすまで
の一首である。都では「見かけぬめずらしい石であり、かつまた秀歌である」として、その歌を「古今和歌集」(巻七)賀歌に採録されることになったが、当時、石井左衛門は身分が低かったので、よみ人知らずとして発表され、現在の国歌となりました。
それは、まさしく心を一つにし、私たちの家庭も地域も国家もみんなが力を合わせて進めば、千代に八千代に栄えてゆくことを、意味するものです。
岐阜県揖斐郡春日村に住む石井左衛門は、春日谷から近江の君ヶ畑や京都へ行き来する際、渓流に露出する「さざれ石」を見て見たまま、詠んで奉った歌が
わが君は千代に八千代にさざれ石の巌をとなりて苔のむすまで
の一首である。都では「見かけぬめずらしい石であり、かつまた秀歌である」として、その歌を「古今和歌集」(巻七)賀歌に採録されることになったが、当時、石井左衛門は身分が低かったので、よみ人知らずとして発表され、現在の国歌となりました。
江口だんご本店の庭の木板。原板は縦書き。「巌をとなりて」「石井左衛門」など、表記は板のまま写しています。2026年8月26日撮影。