十六 ── 茨城県
鹿島神宮のさざれ石
かしまじんぐうのさざれいし
- 所在
- 茨城県 鹿嶋市(鹿島神宮 境内・奥参道わき)
- 種別
- 社寺
- 岩質
- —(緑がかった凝結岩。目視では判じがたい)
- 時代
- —
- 台帳の分
- 迎えられた石
- 由来の型
- 特異な伝承
- 来歴
- 2006年の奉納と伝えられます(参拝記録による)。産地は未確認です
- 現地確認
- 2026-08-14 に現地で確認


写真:こいしたく
伝承
常陸国一之宮・鹿島神宮の奥参道のわき、鹿園のそばに、紙垂を掛けられて据えられています。かたわらには日の丸を刻んだ「国旗について」の碑が並び、国名も国旗も太陽崇拝に起源すると述べ、平成十一年の国旗国歌法にも触れています(2026年8月 実見)。2006年の奉納と伝えられます。
学術
—(この石を扱った学術文献は、まだ手元にありません)
行政
—(確認できる指定の記録は、まだ手元にありません)
出典
- ・この台帳の実見(2026-08-14)。文献は引き続き探しています
現地の板の写し ── さざれ石の由来
さざれ石(石灰質角礫岩)は、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液が次第に小石を凝結し、次第に大きくなり、ついには巌となり、河川の浸食により地表に露出したものであります。
国歌「君が代」は、天皇の御代の弥栄をさざれ石に託してをり、天皇の大御代が千代に八千代に、さざれ石の巌となりて苔のむすまで、永く久しく栄えますようにとの祈りの込められた歌であります。
古今和歌集 巻第七賀歌に、題知らず・読人知らずの歌として
わが君は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで
とあります。
「君が代」は神事や宴席で最後に歌われる祝歌として人々に広く、浄瑠璃や謡曲にも取り入れられ、小唄端唄から一般庶民に到る迄、全国津々浦々で歌われる歌となって行きました。
国歌「君が代」は、明治二十六年日本国歌に制定され、大正時代ニューヨークで開催された世界の国歌コンクールで特等となりました。
国歌「君が代」
君が代は千代に八千代に
さざれ石の巌となりて苔のむすまで
国歌「君が代」は、天皇の御代の弥栄をさざれ石に託してをり、天皇の大御代が千代に八千代に、さざれ石の巌となりて苔のむすまで、永く久しく栄えますようにとの祈りの込められた歌であります。
古今和歌集 巻第七賀歌に、題知らず・読人知らずの歌として
わが君は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで
とあります。
「君が代」は神事や宴席で最後に歌われる祝歌として人々に広く、浄瑠璃や謡曲にも取り入れられ、小唄端唄から一般庶民に到る迄、全国津々浦々で歌われる歌となって行きました。
国歌「君が代」は、明治二十六年日本国歌に制定され、大正時代ニューヨークで開催された世界の国歌コンクールで特等となりました。
国歌「君が代」
君が代は千代に八千代に
さざれ石の巌となりて苔のむすまで
奥参道わきの石碑(金字・縦書き)。風化で判読しがたい字があり、読み取れた範囲の写しです。数か所の助詞は前後から補いました。2026年8月14日撮影。
現地の板の写し ── 国旗について
古来、日本人は太陽を信仰の対象としており、国名「日本」も国旗「日章旗」(日の丸)も太陽崇拝に起源するものと思われる。日章旗が国旗として扱われるのは明治以降で、平成十一年施行の国旗国歌法により正式に国旗として定められた。
日の丸の旗 高野辰之作詞 明治四十四年(一九一一)
一 白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は
二 朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は
日の丸の旗 高野辰之作詞 明治四十四年(一九一一)
一 白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は
二 朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は
日の丸を刻んだ石碑の下面。細部は風化のため前後から補いました。唱歌「日の丸の旗」の作詞者・高野辰之は1947年没で、著作権の保護期間は満了しています。2026年8月14日撮影。
原文のまま。仮名づかいも表記の揺れも板のまま、読めない字は〓のまま。板の写しの一覧へ