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Who made it

君が代の作者は、だれか

詞に作者の名はありません。曲には四人の名が出てきますが、どこまでが誰の功かは、いまも説が分かれます。

詞 ── 作者の名は、残っていません。

『古今和歌集』巻第七 賀歌に、「題しらず・読人しらず」として載っています。詠まれた場所も、詠んだ人も、わかっていません。

だからこそ各地に「うちの石だ」という伝承が生まれました。作者がいないということが、この歌が各地に根を張れた理由でもあります。

曲 ── 四人の名が出てきます。

最初の曲
英国軍楽隊長 ジョン・フェントン。日本に国歌がないことを惜しんだ英国軍楽隊長。薩摩藩士の大山巌らが歌詞を選び、フェントンが曲をつけました。しかし旋律と歌詞の調和に難があるとされ、普及しませんでした。これが最初の「君が代」です。
林広守(1831–1896)
1880(明治13)年、海軍省から宮内省雅楽課へ作曲が委嘱され、伶人長であった林広守の旋律が当選しました。いま歌われている旋律です。
奥好義
雅楽局の四等伶人。明治12年に雅楽稽古所で宿直中に作曲したものだといわれています。林広守の当選作の元になった旋律は奥好義のものだ、とする説があります。この台帳は、どちらとも裁定しません。
和声
お雇いのドイツ人音楽教師 フランツ・エッケルト。お雇いのドイツ人音楽教師。当選した旋律を四声体に編曲しました。いま耳にする和声は、この手によります。

初演は1880(明治13)年11月3日、天長節の宮中でした。

奥好義の関与については「いわれている」「説がある」という書かれ方をする資料が多く、確定した記述を見つけていません。確かめられたら、ここに書き足します。

詞のほうは、なぜ分からないのか。

『古今和歌集』巻第七 賀歌の三四三番に、題しらず・よみ人しらずとして載っています。歌集に収められた時点で、すでに作者が分からなくなっていた、ということです。

だれが詠んだか分からないのですから、その人がどの石を見ていたかも分かりません。「この石が歌のモデルだ」と言うには、詠んだ人と場所を結ぶ記録が要ります。そういう記録は見つかっていません。

曲のほうは、四人の名が出てきます。

フェントン
英国軍楽隊長。最初の君が代の曲を作りました。定着しませんでした。
林広守
宮内省雅楽課の伶人長(1831–1896)。1880年に当選した旋律が、いま歌われているものです。
奥好義
雅楽局の四等伶人。明治12年に作曲したという説があります。この台帳は裁定しません。
エッケルト
お雇いのドイツ人音楽教師。四声体に編曲しました。いまの和声はこの人の手によります。

詞は作者不詳、曲は四人。千年以上むかしの歌に、明治の四人が曲をつけた——この歌の作者欄は、そういう形をしています。

Sources

出典

  • ・『古今和歌集』巻第七 賀歌(題しらず・読人しらず)
  • ・「君が代」『日本大百科全書』ほか(コトバンク所収)
  • ・「奥好義」『20世紀日本人名事典』ほか(コトバンク所収)
  • ・海上自衛隊東京音楽隊「君が代について」

つづきの問い

君が代は、いつできたのか

君が代の歌詞は、どう書くのが正しいのか

君が代は、どういう意味の歌か