The music
君が代の曲は、だれがどう作ったのか
いまの旋律は1880年のものです。そして法律は、歌詞だけでなく楽譜も定めています。
法律に、楽譜が載っています。
国旗及び国歌に関する法律の別記第二は、一 歌詞と二 楽曲に分かれています。歌詞だけでなく、楽曲も法律の別記に書かれています。
君が代は 千代に八千代に
さざれ石の いわおとなりて
こけのむすまで
さざれ石の いわおとなりて
こけのむすまで
平成十一年法律第百二十七号(e-Gov法令検索の本文で照合)。「二 楽曲」には五線譜が掲げられています
曲には、二つの代があります。
最初の曲
英国軍楽隊長ジョン・フェントンが作曲しました。薩摩藩士の大山巌らが歌詞を選びました。しかし旋律と歌詞の調和に難があるとされ、普及しませんでした。
1880(明治13)年
海軍省から宮内省雅楽課に作曲が委嘱され、伶人長・林広守の旋律が当選。お雇いのドイツ人音楽教師フランツ・エッケルトが四声体に編曲しました。
初演
1880年11月3日。天長節の宮中で初演。いま耳にする旋律と和声は、ここから。
1893(明治26)年
文部省告示「祝日大祭日歌詞並楽譜」に収められ、学校の儀式の歌になります。
1999(平成11)年
法律の別記第二に、歌詞とともに楽曲が掲げられます。
雅楽の伶人が作った旋律に、ドイツ人が西洋の和声をつけた——いま歌われている形は、その重なりでできています。
当選した旋律のもとは奥好義のものだ、とする説もあります。この台帳は、どちらとも裁定しません。作者の頁に、分かっていることだけを並べています。
なぜ、ほかの国歌と響きが違うのか。
旋律を作ったのは、宮内省雅楽課の伶人長・林広守です。雅楽の伶人が作りました。西洋音楽の長調・短調の枠で作られたものではありません。
長調なら明るい、短調なら暗い。その聞き分けに慣れた耳には、どちらでもない音階は行き場がありません。暗く作られているのではなく、明るい側の目印が無い——そう言うほうが近いはずです。
そこへドイツ人エッケルトが西洋の四声体和声をつけました。雅楽の旋律に、西洋の和声。いま耳にするのは、この組み合わせです。
演奏の長さ。
三十二音を、一分に満たない時間でゆっくり歌います。一音あたりが長い。行進のための歌ではなく、式のための歌として置かれているためです。
音楽の説明は、音階と和声と速度という作りの話までです。どう聞こえるべきかは述べません。
Sources
出典
- ・国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)別記第二 ── e-Gov法令検索で照合
- ・「君が代」『日本大百科全書』ほか(コトバンク所収)
- ・海上自衛隊東京音楽隊「君が代について」
- ・文部省告示「祝日大祭日歌詞並楽譜」1893(明治26)年