Reading notes

鈴木博之「『さざれ石』の由来と地質学的考察」

『地球科学』第57巻4号、地学団体研究会、2003年、pp.243–252

さざれ石を正面から扱った、いちばんの基本文献です。この台帳は全10頁を読みました。 論文そのものは著作権の保護中で転載できません。ここに置くのは、台帳が読み取った事実の抜き書きです。 原本は国立国会図書館の遠隔複写で、だれでも取り寄せられます(取り寄せ方)。

この論文が言っていること(ひとことで)

「さざれ石」は一つの石の名前ではない。少なくとも四つの型が並び立っていて、どれが歌の石かは確定していない——それがこの論文の骨格です。

型の一
石成長譚——小石が育って大きくなるという言い伝えの石。京都・嵯峨野のさざれ石山など。小石が成長する言い伝えは日本各地に35例ある(柳田国男 1929 を参照)。
型の二
特異な伝承——広島・福王寺の石。863年に紀伊の浜で見つかった「毎夜ひかる石」の伝承とともに運ばれた。文書に残る日本最古の水石とされる。
型の三
礫岩形成——岐阜・旧春日村の石灰質角礫岩。礫が固まって岩になる、を実物で見られる。
型の四
水石——愛好家が「さざれ石」と呼ぶ観賞石。滋賀・姉川の川原の標本では六種のまるで違う岩が同じ名で呼ばれ、共通点は表面の細かい凹凸だけ。

ことばのなりたち(pp.243, 252)

「さざれ」は小さい・細かいの意で、さざれ波・さざれ貝と同じ使い方。『日本書紀』推古紀に「砂礫」の訓、『万葉集』に「佐射礼伊思」。 つまり本来は小さな石を指すふつうの名詞でした。 有名にしたのは『古今和歌集』巻第七・賀歌の「題しらず・読人しらず」の一首。「君」は天皇に限らない敬いのことばで、 中世から近世には謡曲・小唄・浄瑠璃・祭礼歌にまで広がる賀寿の歌だった(山田孝雄 1979 に拠る)——と整理しています。 明治になって「国歌」の側に位置づけが変わり、それにつれて「さざれ石」も特定の岩石の名として読み替えられていった、という指摘が続きます。

各地の検討(この台帳の各頁のもとになった部分)

京都
嵯峨野のさざれ石山は灰色層状チャート。嵯峨天皇行幸の伝承どおりなら歌はそれ以前にあったことになり、発祥地とは言えない筈——という論理矛盾の指摘(pp.244–245)。
広島
福王寺の石は1977年の落雷火災で原型を失った。残った小片の鑑定は石灰岩角礫を含む玄武岩質凝灰岩。伝承の産地・千里の浜の地質にこの岩は無く、当初の「古屋石」が後に京都北山の「竜眼石」に置き換わった可能性を推定(pp.246–249)。
岐阜
旧春日村の石は第四紀の石灰質角礫岩。「これが古今集の石」とする説は1961年の小林宗一翁の発表に始まり、旧家の伝承のほかに確実な資料文献は見あたらない、と記す(pp.249–251)。

結論は、両論併記です

一方で、礫が集まって巌になることは現代の地質学でふつうに説明でき、 多数の小さな地域が集まって国をつくる象徴としても適合的だ——と認めたうえで、 平安時代にその知識が行きわたっていたとは考えにくい、として著者はこう結びます。

「ここの石が『古今和歌集』によまれた『さざれ石』であるとする主張には大きな疑問が残る」
p.251より(適法な引用の範囲で)

そして最後に、巌になったものをなお「さざれ石」と呼ぶのは語法として疑問だ、と書き添えます。 ——この台帳は、その疑問ごと大切に受け取っています。名は、大きくなっても変わらないのですから。

文献の頁へ戻る